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東京高等裁判所 昭和57年(行ケ)145号 判決

原告 日本楽器製造株式会社

被告 特許庁長官

主文

特許庁が昭和五六年審判第一〇七四三号事件について昭和五七年四月二六日にした審決を取消す。

訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

第一当事者双方の求めた裁判

原告は主文同旨の判決を求め、被告は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二(原告)請求の原因

一  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和四五年一二月二九日、名称を「磁性材料」とする発明につき特許出願(以下、この出願を「原出願」といい、その発明を「原出願発明」という。)をし、昭和五〇年三月一七日、特許法四四条一項により原出願の一部を同一名称の発明として、分割出願(以下、この出願を「本願」といい、その発明を「本願発明」という。)をしたところ、本願は、昭和五一年六月二五日、出願公告された。しかるに、日立金属株式会社外四名から特許異議の申立があり、特許庁は、昭和五六年二月二四日、右異議申立を理由あるものと認め、本願につき拒絶査定をした。そこで、原告は、同年五月二八日、これに対する審判を請求し、特許庁は、これを昭和五六年審判第一〇七四三号事件として審理したうえ、昭和五七年四月二六日、「本件審判の請求は成り立たない。」との審決をし、右審決謄本は、同年五月二九日、原告に送達された。

二  原出願発明の要旨

1  コバルト五~三五原子パーセント、クロム三~四〇原子パーセント、残部鉄を主成分とする合金に、電子個数差がマイナス〇・五~二になるように、チタン、バナジウム、ジルコニウム、ニオブ、タンタル、モリブデン、タングステン、マンガン、ニツケル、銅、亜鉛、ゲルマニウムの一種又は二種以上(但し、モリブデン単体は除く。)を含有させて特性を改良した(BH)maxが八〇〇〇AT/m以上の磁性合金。

2  前記合金の機械加工性を改良するために、ケイ素、ホウ素、アルミニウムの〇・一~三重量パーセントを含有させることを特徴とする磁性合金。

三  本願発明の要旨

コバルト一〇・六~三七・二重量パーセント、クロム九・二~三八・〇重量パーセント、ケイ素、ホウ素、アルミニウムの一種又は二種以上を〇・一~三重量パーセント含有させ残部を鉄とした磁性合金。

四  審決理由の要点

本願発明の要旨は、前項記載のとおりである。しかし、本願発明については、原出願の出願当初の明細書及び図面(以下、この両者を「原明細書」という。)に記載されていたものであるとは認められないので、本願は、特許法四四条一項による適法な分割出願ということはできず、同条二項の適用を認めることはできない。

請求人(原告)は、原明細書中次の〈1〉ないし〈4〉の部分を指摘して、本願がいわゆる分割出願として適法である旨主張するので、以下において順次この点を検討する。〈1〉原明細書一頁一〇行ないし一一行目の「本発明は、Fe―Cr―Co系合金、即ちスピノーダル分解型磁石合金の改良に関するものである。」との記載は、「本発明」が属する技術分野或は「本発明」の種類等について説明しているに止まるもので、その「系」にどういう内容のものが含まれ、その改良がどのようなものであるか等については、右の部分に引続く記載を待つ以外には明らかにならない。〈2〉原明細書一頁二四行ないし二頁二行目の「本発明者は、Fe―Cr―Co系合金に各種の添加剤、即ちTi、V、~Alを加え、その磁気特性を測定した。その結果を第一図に示す。」との記載及び〈3〉原明細書三頁二一行ないし四頁二行目の「Si、B、Alについては、電子配置に影響を及ぼして特性を改善するというものではなく、主として脱酸効果によりその磁気特性、機械加工性を改善するものである。その添加量は~を越えると特性が劣化する。その結果は第三図のとおりである。」との記載については、その「結果」であるとして示されている「第一図」及び「第三図」をみると、ケイ素、ホウ素、アルミニウムの一種又は二種以上を含む態様については、そのいずれもが、鉄、クロム及びコバルトのみでなく、これらに加えて更にモリブデンをも含んでいるのであり、本願発明で設定している構成、即ち鉄、クロム及びコバルトに上記三種の元素の一種又は二種以上を含む構成に対応するものについては一例も見当らない。そして、これらの事実及び原明細書一頁一四行ないし二三行目に「研究が始められている。即ち、Fe―Cr―Co系合金の添加剤の一つとして、Mo添加の効果が明らかにされ、その研究の一部は明らかにされている。しかし、Moは高価であるのでできるだけその添加量を少なくすることが必要である。~本発明はこの研究を更に進めて、~」と説明されているところからすれば、ケイ素、ホウ素、アルミニウムの一種又は二種以上を含む場合については、そこでその「効果が明らかにされた」というその「Mo添加」を前提にしているものというほかはなく、それら部分が本願発明の如く「Mo」を含まない場合についてまでも説明しているものとは認められない。〈4〉原明細書四頁二〇行ないし二二行目の「(2)前記合金の機械加工性を改良するためには、Si、B、Alの〇・一~三重量%を含有させることを特徴とする磁性合金」との記載については、ここにいう「前記合金」が請求人が主張するとおり、前記〈1〉ないし〈3〉で指摘した個所に記載されている合金を指しているものであるとしても、これら個所の記載については、前述のとおり、「Mo」を含まない場合についてまでも説明されているものとは認められないものである以上、右記載部分で本願発明の要旨が説明されているものとは認められない。

そうであれば、本願発明は、特開昭四七―三三八一五号公報及び特開昭四八―三〇六二三号公報に記載された発明と認められるので、特許法二九条一項三号に該当し、特許を受けることができない。

五  審決を取消すべき事由

1  本願発明と審決が指摘する特開昭四七―三三八一五号公報及び特開昭四八―三〇六二三号公報に記載された発明と同一であることは認めるが、本願発明は原明細書に記載されていたものと認めるべきであるから、審決はこの点において原明細書の内容を誤認し、本願を拒絶すべきものとしたのであつて、違法であるから取消されるべきである。

2  本願発明は、磁気特性と共に機械加工性が優れた磁石を追求する過程において得られたものである。本願発明が対象とする鉄―クロム―コバルト系スピノーダル分解型合金においては、成分元素にむらができることがあるにとどまり、通常の金属ほどではないが粘りがあるため、他の永久磁石材料に比し、圧延や切削が比較的容易である。本願発明においては、基本系たる鉄―クロム―コバルト系スピノーダル分解型合金にケイ素、ホウ素、アルミニウムを添加して、その加工性を更に高め、取扱い易さを向上させようとするものである。

3  かような本願発明の内容は、原明細書に記載されていたものであるが、その具体的個所を指摘すれば次のとおりである。即ち、〈1〉「本発明は、Fe―Cr―Co系合金、即ちスピノーダル分解型磁石合金の改良に関するものである。」(原明細書一頁一〇行ないし一一行目)、〈2〉「近年、スピノーダル分解型Fe―Cr―Co系合金は、塑性(「粗成」とあるのは誤記である。)加工や切削加工が可能な永久磁石合金として注目され研究が始められている。」(同一頁一二行ないし一四行目)、〈3〉「本発明はこの研究を更に進めて、種々の添加剤の効果について明らかにするものである。」(同一頁二一行ないし二三行目)、〈4〉「本発明者は、Fe―Cr―Co系合金に各種の添加剤、即ちTi、V、Zr、Nb、Ta、Mo、W、Mn、Ni、Cu、Zn、Ge、Si、B、Alを加え、その磁気特性を測定した。その結果を第一図に示す。」(同一頁二四行ないし二頁二行目)及び原明細書第一図、〈5〉「Si、B、Alについては、電子配置に影響を及ぼして特性を改善するというものではなく、主として脱酸効果によりその磁気特性、機械加工性を改善するものである。その添加量は〇・一重量%未満ではその効果がなく、三重量%を越えると特性が劣化する。その結果は第三図の表のとおりである。」(同三頁二一行ないし四頁二行目)及び原明細書第三図、〈6〉「以上述べたように、本発明はFe―Cr―Co系合金の特性を改善し、種々の用途(各種パーミアンス係数)に合うような組成を選択できるようにしたもので工業上の利益が大きい。」(同四頁九行ないし一二行目)、〈7〉「前記合金の機械加工性を改良するためにSi、B、Alの〇・一~三重量%を含有させることを特徴とする磁性合金。」(特許請求の範囲(2)、同四頁二〇行ないし二二行目)がその記載部分である(以上の記載(図面も含む。)を順次「〈1〉、〈2〉……〈7〉の記載」という。)。以下に、右記載につき具体的に検討する。

4  〈1〉の記載について

(一) 〈1〉の記載は、原出願発明の指向するところを発明の詳細な説明の冒頭において、端的に表現したものであり、これによれば、原出願発明の目的が鉄―クロムーコバルト系スピノーダル分解型磁石合金の改良にあり、右記載と〈3〉、〈4〉、〈6〉等の記載と相俟つて、原出願が右改良のため、右合金にチタン、バナジウム、ジルコニウム、ニオブ、タンタル、モリブデン、タングステン、マンガン、ニツケル、銅、亜鉛、ゲルマニウム(以下、これらを総称して「チタン等」という。)ケイ素、ホウ素、アルミニウム(以下、この三元素を総称して「ケイ素等」という。)(以下、チタン等及びケイ素等を総称して「チタン、ケイ素等」という。)を添加したものであることを明白に読み取ることができる。

(二) 被告は、右記載は単に原出願発明の属する技術分野或はその種類等を説明するに止まる旨主張するが、一つの記載が幾つかの意義を有することは日常あり得ることであるから、右記載を被告主張のように限定して解すべき根拠はない。

5  〈2〉及び〈3〉の記載について

(一) 右両記載は、〈1〉の記載により示された鉄―クロムーコバルト系合金改良の目的を達成するため、近年着目され研究が開始され始めた同合金に種々の添加剤を加えて、塑性加工及び切削加工可能な永久磁石合金製作上の効果を観察したことを示している。

(二) 被告は、〈2〉及び〈3〉の記載は単に研究の方向を示すだけであり、また、〈3〉の記載にいう「研究」とはモリブデン添加を前提としたものである旨主張する。しかし、被告が指摘する〈8〉の記載によれば、添加剤の一種であるモリブデンを添加することにつきそれが高価であるという欠点があることが示されており、更に、右記載に引続き原明細書には、実用的には必要に応じてBrやHcを自由にコントロールしたいという要求がある旨の記載がある。そして、これらの記載に続いて原出願発明が種々の添加剤の効果を明らかにしたという〈3〉の記載があるのである。かような記載を全体として読めば、原出願発明が、鉄―クロム―コバルト系合金の添加剤の一種であるモリブデンによつては得られない効果を求めて、種々の添加剤(この中にはモリブデンを含み得ることは勿論である。)についてなされた研究の成果を示すものであることは明らかである。

6  〈4〉及び〈5〉の記載について

(一) 右両記載は、その記載中の図表と相俟つて、鉄―クロム―コバルト系合金をベースにしてケイ素等を〇・一ないし三重量パーセント添加するという本願発明の構成及び右添加による機械加工性の向上という本願発明の作用効果を示している。

審決は、原明細書には鉄―クロム―コバルト―モリブデン系合金にケイ素等を添加する場合のみが説明されており、鉄―クロム―コバルト系合金にケイ素等を添加するという本願発明の内容は、記載されていない旨認定している。しかし、原明細書第三図中のケイ素等を添加した試料の機械加工性がこれを添加しない試料に比し著しく改良されていることは明瞭である。したがつて、当業者であれば、右第三図により、鉄―クロム―コバルト系スピノーダル分解型合金にケイ素等を添加することの効果を知ることができるのである。

もつとも、第三図の試料には、いずれも少量のモリブデンを含んでいる。しかし、当業者が第三図をみて、前記のような機械加工性の改良がケイ素等の外にモリブデンが存在してはじめて生じるものと誤解することはあり得ない。そのような相乗作用というものは稀にしか起こらず、それなればこそ、その種の相乗効果を発見した場合には、学術上も産業上も特別の注目をひき、明細書中でも、その点についての詳細な説明がなされるのが常である。そのような特別の記載のない原明細書に接した当業者は、特にモリブデンの存在を顧慮することなくケイ素等の添加の効果を容易に知ることができるのである。

モリブデン添加について、更に付加して述べれば、Transactions of the American Institute of Mining and Metal-lurgical Engineers一九一巻(一九五一年発行)八七二頁ないし八七六頁(甲第五号証)には、シグマ層が固くて脆いこと及び各種三元合金におけるシグマ相発生領域が記載され、また、各合金モリブデンを含有するために一原子当りの等空電子数が増加すると、シグマ相発生領域に近付いて該相が発生しやすくなることが記載されている。そして、右文献には鉄―クロム―コバルト系合金にモリブデンを添加した場合についての直接の記載はないが、その含有割合から等空電子数を計算すれば、右同様にモリブデンを含有すればシグマ相が発生しやすくなるものと推しはかることができる。したがつて、当業者としては、原出願時である昭和四五年より一九年も以前である一九五一年(昭和二六年)に頒布された甲第五号証により、鉄―クロム―コバルト系合金にモリブデンが添加されることにより、固くて脆いシグマ相が発生しやすくなり、かえつて機械加工性の悪化を招くということを容易に知ることができるのであつて、前記のような顕著な機械加工性の改良が、鉄―クロム―コバルト系合金にケイ素等だけでなく、モリブデンを添加することによつて始めて生じる効果であると誤解するということはほとんどあり得ないといつてよい。

(二) 被告は、〈4〉及び〈5〉の記載は組成上モリブデンを含有しない本願発明に係る合金組成のものまでをも含むとは認められない旨主張する。しかし、〈4〉の記載中には「Fe―Cr―Co系合金に……Si、B、Alを加え、」とあるから、この部分が本願発明の要旨の一部と同じであることは明らかである。また、原明細書第一図中にはモリブデンを含まないものが示されているから(試料番号G)、原出願が鉄―クロム―コバルト系合金にモリブデンを添加したものを前提としているとはいえないし、第一図及び第三図中の試料の多くがモリブデンを含んでいるのは、単にモリブデンを含んだものが磁気特性が優れているという事情を反映したものにすぎないから、かかる事実のみをもつて、原出願発明をモリブデンを含んだものというように限定して解釈することは許されない。これに関連して、被告は、第三図の事例において、モリブデンがケイ素等より一・五倍も含まれていることを問題としているが、組成率だけを取上げれば、鉄、クロム、コバルトの方が高いし、モリブデンが機械加工性の改良をもたらす要因たり得ないことは既に述べたとおりであるから、モリブデン含有量によつて原出願発明の範囲が左右されるものではない。更に、原明細書に被告が指摘するようにモリブデンを添加しない場合の実施例が足りなかつたとしても、それは、特許法三六条四項所定要件の充足度の問題であり、補正により治癒される程度の瑕疵にすぎず、これをもつて、本願発明の内容が原明細書に記載されていないものとすることは許されない。

7  〈6〉の記載について

〈6〉の記載は、第一図及び第三図から知られる作用効果を明示し、原出願発明が鉄―クロム―コバルト系合金をベースとしてその特性を改良した事実を示している。

8  〈7〉の記載について

右記載中の「前記合金」の文言は、文脈上その直前の特許請求の範囲(1)のうち、(イ)「Co五~三五原子%、Cr三~四〇原子%、残部Feを主成分とする合金」又は、(ロ)右(イ)に「電子個数差がマイナス〇・五~プラス二になるようにTi、V、Zr、Nb、Ta、Mo、Mn、Ni、Cu、Zn、Glの一種または二種以上(但し、Mo単体を除く。)を含有させて特性を改良した(BH)maxが八〇〇〇AT/m以上の磁性合金」のいずれかを指すことは明らかである。そして、〈4〉の記載によると、ケイ素等は、鉄―クロム―コバルト系合金に対する添加剤としてはチタン等と対等のものであり、チタン等と同じく直接に鉄―クロム―コバルト系合金に加えられたものであることが示されている。また、右(ロ)中には、(「但しMo単体を除く)」という記載があるが、原明細書中ケイ素等を添加して機械加工性の改良の模様を具体的に示す第三図においては、鉄―クロム―コバルト系合金に「Mo単体」以外の、即ち「モリブデンと他のチタン等の金属の一種以上」又は「モリブデン以外の他のチタン等の金属の一種若しくは二種以上」及びケイ素等を添加した事例は存しないし、原明細書中の他のいかなる部分にも鉄―クロム―コバルト系合金にチタン等の一種又は二種以上(但しモリブデン単体を除く)とケイ素等を重ねて添加する旨の記載もない。このようなことからみれば、「前記合金」は(イ)を指すものと解するのが相当である。そうであれば、原出願発明の特許請求の範囲(2)は、鉄―クロム―コバルト系合金にケイ素等を添加した磁性合金の発明に関する記載であるということができ、本願発明は原明細書に記載されていたものというべきである。

第三(被告)請求の原因の認否及び主張

一  請求の原因一ないし四の事実は認める。同五のうち、本願発明と特開昭四七―三三八一五号公報及び昭四八―三〇六三号公報に記載された発明とが同一であることは認めるが、その余は争う。

二  主張

1  〈1〉の記載について

右記載部分は、原出願発明の属する技術分野或はその種類等について説明しているに止まるもので、その「改良」の内容がいかなるものであるかは、右記載から明らかでなく、それに引続く他の記載を待たなければ判明しない。

2  〈2〉及び〈3〉の記載について

〈2〉の記載は、スピノーダル分解型鉄―クロム―コバルト系合金が原出願当時までの数年、塑性加工や切削加工が可能な永久磁石合金として注目され、これについて研究が始められていることを説明しているに止まり、その研究の内容、方向等は右記載自体からは明らかではない。

また、〈2〉の記載部分に引続いて、原明細書には、「即ち、Fe―Cr―Co系合金の添加剤の一つとして、Mo添加の効果が明らかにされ、その研究の一部は明らかにされている。しかしMoは高価であるのでできるだけその添加量を少なくすることが必要である。」(原明細書一頁一四行ないし一八行)(以下「〈8〉の記載」という。)と記載され、モリブデンを添加した場合を前提として原出願に関する研究が進められていることに注目しなければならない。したがつて、〈3〉の記載にいう「研究」とは、モリブデン添加を前提とした場合をも含めて進められていたものとみるのが自然である。しかし、その具体的内容は右記載から未だ明らかではない。

かように、〈2〉及び〈3〉の記載には、漠とした原出願発明での研究の一応の方向が説明されているにとどまり、本願発明の内容が原明細書に記載されているか否かは更にそれに引続く他の記載を待つほかはない。

3  〈4〉及び〈5〉の記載について

(一) 原明細書第一図に示された一二例によれば、ケイ素等を含んでいるものが三例あるが、そのいずれもが鉄、クロム、コバルトに加えてモリブデンを含んでいるし、〈5〉の記載で指摘されているケイ素等の添加による効果を示すものとされている原明細書第三図による四例のいずれもがモリブデンを含んでおり、本願発明で設定している組成に対応するもの、即ち、モリブデンを含まないで、鉄、クロム及びコバルトにケイ素等の一種又は二種以上の組成を有するものについては、原明細書中には全く記載されていない。これらの事実からみれば、ケイ素等を含む場合については、〈8〉の記載に示されている添加剤としてその効果が明らかにされていたというモリブデンが添加された場合を前提としているものというほかなく、したがつて、〈4〉及び〈5〉の記載は、本願発明にかかる合金組成のもの、即ち組成上、モリブデンを含まないで、鉄、クロム及びコバルトにケイ素等の一種又は二種以上を含む場合についてまでをも含むものと認めることはできない。また、原告の引用する文献には、鉄―クロム―コバルト系合金にモリブデンを添加した場合についての記載はないから、これを根拠に、モリブデン添加が機械加工性の悪化を招くものと認めることはできない。

(二) 原出願発明は合金発明であるから、その構成、即ち、組成成分が合金の種々の特性上どのような結果をもたらすかについて、その量的多寡を問わず、反覆実験等により現実に確認した結果が示されなければ、当業者には、何もわからないのである。原明細書第三図をみると、鉄、クロム、コバルト及びモリブデンにケイ素等の三元素を一つずつ含むものが三例示されているが、そのいずれにおいても、ケイ素等の含有量が僅か一・〇重量パーセントであるにすぎないのに、その冷間加工率が八〇パーセント(ケイ素)、八五パーセント(ホウ素)、七七パーセント(アルミニウム)であり、いずれも、鉄、クロム、コバルト及びモリブデンで組成されケイ素等を含まない比較例(第三図左端欄)の冷間加工率六〇パーセントに比し改良されたことが示されており、当業者は右第三図によつて始めて原出願発明による改良の結果を知ることができるのである。そして、右第三図に示されているものは、いずれもモリブデンを含んでおり、しかも、その含有量は、比較例において一・八重量パーセント、ケイ素等を含む三事例において各一・五重量パーセント(ケイ素等の一・五倍)であるから、ケイ素等がモリブデンを含まない場合において、その特性上どのような結果をもたらすものであるかについては、別途現実に実施され、確認された事実が示されない限り、第三図のみから当業者としてこれを知ることはできないのである。しかるに、原明細書には、これを示す実施例に相当するものはただの一例すらも記載されていない。

4  〈6〉の記載について

〈6〉の記載のみでは原出願が鉄―クロム―コバルト系合金の特性をどのように改善したのか明らかでなく、それより前の原明細書の記載をみても、本願発明の要旨を含む記載がないことは既に述べたとおりである。

5  〈7〉の記載について

原告は右記載中の「前記合金」なる文言は、特許請求の範囲第一項のうち鉄、クロム、コバルトを主成分とする合金を指す旨主張するが、原明細書には、右合金がケイ素等を含む場合については、モリブデンを含む場合を除き、実質上も記載されていないのであるから、原告の右主張は失当である。

6  以上述べたとおり、原明細書には、本願発明について実質上何も記載されていないのであるから、本願は特許法四四条一項による分割出願として同条二項の適用を受けることができないものであり、同法二九条一項三号の規定によつてこれを拒絶した審決の判断に誤りはない。

第四証拠関係〈省略〉

理由

一  請求の原因一ないし四の事実は当事者間に争いがない。

二  本願発明は、特許法四四条一項に基づくいわゆる分割出願として出願されたものであるから、請求の原因三記載の要旨による本願発明が原明細書中に記載されていることが必要である。

1  成立に争いのない甲第四号証(原明細書)によれば、〈4〉の記載及びその実施例である第一図には、本願発明の基礎合金と同じ鉄―クロム―コバルト系合金に、添加剤として、いずれも等価のものとしてチタン等及び本願発明の要旨に含まれるケイ素等の一種又は数種を加えて、その磁気特性を測定したこと及びその測定結果が記載されていること、〈5〉の記載及び第三図には、前同様鉄―クロム―コバルト系合金にケイ素等を〇・一ないし三重量パーセントの範囲で添加し、その磁気特性及び機械加工性を測定したこと及びその測定結果が記載されていることが認められ、また、原出願発明の要旨(1)の磁性合金も、本願発明同様、鉄―クロム―コバルト系合金を基礎合金とするものであつて、コバルト五ないし三五原子パーセント、クロム三ないし四〇原子パーセント、残部鉄の割合の組成によるものであるが、右組成比率は、本願発明の要旨において重量パーセントにより示された鉄、クロム、コバルトの組成比率を包含するものであることが認められる。これらの事実によれば、原明細書には、本願発明の技術内容が記載されているものとみて差支えないところであるが、以下において、更にこの点について敷衍し、検討を加える。

2  前掲甲第四号証によれば、〈1〉、〈2〉、〈3〉及び〈8〉の記載を含む原明細書一頁九行ないし二二行目(以下「冒頭部分」という。)には、原出願発明は、その出願当時塑性及び切削加工が可能な永久磁石合金として注目されていたスピノーダル分解型鉄―クロム―コバルト系合金の改良を進め、右合金に対する各種の添加剤の効果を明らかにしようとしたものであつたことが記載されており、具体的には、〈4〉及び〈5〉の記載にあるとおり、右合金にチタン、ケイ素等の各種添加剤を一種又は数種添加することにより、右合金の磁気特性を向上、改善させ、特にケイ素等の添加についてはその脱酸効果により機械特性の向上、改善をもはかることを目的としたものであつたことが認められる。

3  審決の認定及び被告の主張は、要するに、原出願発明中少なくともケイ素等の添加による合金特性の改善に関する部分は、鉄―クロム―コバルト系合金にモリブデンが添加された鉄―クロム―コバルト―モリブデン系合金を基礎とした磁性合金に関するもので、原明細書には、モリブデンを含有しない鉄―クロム―コバルト系合金にケイ素等を添加した本願発明のような磁性合金の記載があるとは認められないというにある。

しかし、前記のとおり、原明細書中の〈4〉の記載によれば、鉄―クロム―コバルト系合金にチタン、ケイ素等を等価のものとして添加し、〈5〉の記載によれば、右の基礎合金にケイ素等を添加するという技術事項が示されているのであるから、これら記載による限り、いずれの場合においても、右の基礎合金はモリブデン含有を前提としていないものであることをうかがうことができる。

また、前掲甲第四号証によれば、原明細書の冒頭部分のモリブデンに関する記載は、一見、原出願発明がモリブデン含有の鉄―クロム―コバルト系の磁性合金を研究対象としたもののように解されるきらいなしとしないが、右記載は、モリブデンを含有する鉄―クロム―コバルト系の磁性合金を公知例として取上げ、添加剤としてのモリブデンの利、不利の点を例示したにすぎないものと解するのが相当であつて、このような冒頭部分の記載を根拠として、原出願発明は、すべての場合につきモリブデン添加を必須の前提としているものとみることは相当でないものというべく、したがつて、もとより、ケイ素等の添加による磁石合金の改善の場合においても、これを前提とするものではないというべきである。そのうえ、成立に争いのない甲第五号証によれば、モリブデンを含むクロム―コバルト―モリブデン系、クロム―ニツケル―モリブデン系等の三元系合金では、モリブデンを含有するため、右合金に固くて脆いシグマ相が発生しやすいことが認められるところ、右甲第五号証には、鉄―クロム―コバルト系合金にモリブデンを添加した場合についての直接の記載はないが、右に認定したところから推して、右の合金においても、モリブデンを含有することによつてシグマ相が発生しやすくなり、かえつて機械加工性の悪化を招くおそれがあるものと認めて差支えないものというべきであり、かつ右甲第五号証は、原出願時たる昭和四六年より一九年以前である一九五一年(昭和二六年)に発行されたものであるから、こうした点からみても、原出願発明が、スピノーダル分解型磁石合金の改良について、ケイ素等を含む添加剤を用いるすべての場合に、モリブデン添加を必須の前提としたものとは認めることができない。

もつとも、前掲甲第四号証によれば、審決指摘のように、原明細書第一図及び第三図の実施例を通じ、鉄―クロム―コバルト系合金にケイ素等を添加した事例では、必ずモリブデンも添加されていることが認められる。被告はこの点を根拠として、本願発明が合金発明である以上、実施例が示されない限り、当業者としてはその効果を知ることができないものであるのに、原明細書の右のような実施例の記載からみれば、原明細書には、本願発明に係る鉄―クロム―コバルト系合金にケイ素等の一種又は二種以上を添加した磁性合金が示されてはいないと主張する。しかし、発明の実施例は、必要があるときに記載すれば足るものであつて、明細書の発明の詳細な説明の項に、発明と認めるに足る技術事項の記載があるのに、それに関する実施例の記載がないからといつて、右記載をもつて発明としての記載とは認められないとすることは不当である。合金の発明にあつては、その構成と共に実際上の効果も具体的に裏付けられていることが必要であり、したがつて、その性質用途が明示されていなければならないものではあるが、本願発明は、鉄―クロム―コバルト系合金が加工可能な永久磁石合金として公知であることを前提としたうえで、その磁気的、機械的特性の改良を目的とするものであつて、既に述べたように、右目的及び構成は原明細書中に開示されているものということができるばかりでなく、前掲甲第四号証によれば、原明細書には目的とする磁性合金の製造方法(溶解による合金化、熱処理による特性化等)も、記載されていることが明らかであるから(二頁二行ないし一二行目)技術的に何ら不明なところはないものというべきである。そして、発明の効果は、目的と表裏一体のものといえるから、目的が明確であれば、効果はそれを具体的に確認したものであるといつても過言ではない。原明細書第一図及び第三図の実施例において、ケイ素等を添加剤として用いるすべての場合にモリブデンも添加されているのは、前記のように、鉄―クロム―コバルト系合金にモリブデンが添加された磁性合金が公知であつたためと推察されるのであるが、モリブデンの添加がない場合の効果についても、当業者であれば一応の推及は可能というべく、右実施例の記載を根拠に本願発明が原明細書に記載されていないとすることは相当ではない。

三  以上述べたところによれば、本願発明が原明細書に記載されているとは認められないとして、本願について特許法四四条二項の適用を否定し、結局本願をもつて同法二九条一項三号の規定により拒絶すべきものとした審決の認定判断は誤りであるから、本件審決は違法として取消を免れない。

よつて、本件審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求を正当として認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条及び民事訴訟法第八九条の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 石澤健 楠賢二 松野嘉貞)

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